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最高裁判所第一小法廷 平成4年(行ツ)127号 判決 1993年2月18日

上告人

市川幸雄

市川静江

右両名訴訟代理人弁護士

宮里邦雄

小野幸治

被上告人

世田谷税務署長

小林三郎

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

個人の支出する国又は地方公共団体に対する寄付金の額の所得控除について限度額を設けている所得税法七八条一項、二項一号の規定が、法人の支出する国又は地方公共団体に対する寄付金について原則としてその全額を損金に算入することができるものとしている法人税法三七条三項一号の規定との対比において憲法一四条一項、八四条に違反するものでないことは、最高裁昭和五五年(行ツ)第一五号同六〇年三月二七日大法廷判決・民集三九巻二号二四七頁の趣旨に徴して明らかである。これと同旨の原審の判断は正当として是認することができ、原判決に所論の違憲はない。所論引用の最高裁昭和四三年(行ツ)第一二〇号同五〇年四月三〇日大法廷判決・民集二九巻四号五七二頁、最高裁昭和五九年(オ)第八〇五号同六二年四月二二日大法廷判決・民集四一巻三号四〇八頁の各判例は、いずれも本件と事案を異にし適切でない。論旨は採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官大堀誠一 裁判官味村治 裁判官小野幹雄 裁判官三好達)

上告代理人宮里邦雄、同小野幸治の上告理由

第一点 本件所得税法七八条の違憲性判断の基準に関する判断の誤り

一 本件は、上告人らに対してなされた昭和六一年分所得税更正処分及び過少申告加算税賦課決定処分の根拠とされた所得税法七八条は、法人税法三七条と対比すれば、法人と個人を寄附金控除の取り扱いにおいて著しく差別するものであって、憲法一四条に反すること、及び不合理な内容の租税立法を禁止することを含む憲法八四条に反することを上告人らにおいて主張するものである。

二 ところで、このような場合の違憲性の判断の基準について、第一審判決は次のように判示していた(「事実及び理由」第三、一)。

「租税は、国家の財政需要を充足するという本来の機能に加え、所得の再分配、資料の適正配分、景気の調節等の機能をも有しており、租税法規の立法においては、財政、経済、社会政策等の国政全般からの総合的な政策判断を必要とするばかりでなく、極めて専門技術的な判断をも必要とすることが明らかである。したがって、具体的な租税法規の立法については、これを、国家財政、社会経済、国民所得、国民生活等の実態についての正確な資料を基礎とする立法府の政策的、技術的な判断にゆだねるほかなく、裁判所は、基本的には、その裁量的判断を尊重せざるを得ないものというべきである。そうすると、国又は地方公共団体に対する寄付について、寄付の主体が個人である場合と法人である場合とで税法上異なった取扱いをすることを定めた所得税法七八条と法人税法三七条との関係についても、そのような異なった取扱いをする立法に正当な理由がある場合には、その区別の態様が右の立法理由との関連で著しく不合理なものであることが明らかであるといった特段の事情が認められる場合でない限り、その合理性を否定することはできず、これを憲法一四条等の規定に違反するものということはできない。」(傍点引用者)。

三 しかるに、原判決は、第一審判決の右判示部分については何らの付加、訂正を加えることなく、そのままこれを引用しているのみである(原判決四枚目八ないし一〇行目)。

しかし、本件の所得税法七八条の寄附金控除の取り扱いについての法人税法三七条との対比における違憲判断の基準についての右第一審判決のような見解は不相当であり、原判決はこれを改めるべきであったのである。

以下その点の原判決の誤りについて、まず述べておきたい。

四1、租税法規の立法であるからといって、第一審判決のように「財政、経済、社会政策等の国政全般からの総合的な政策判断を必要と」し、「極めて専門技術的な判断をも必要とする」という理由付けで、「立法府の政策的、技術的な判断にゆだねるほかなく、裁判所は、基本的には、その裁量的判断を尊重せざるを得ない」というほどの広範な裁量権を立法府に容認し、司法権の判断を抑制しなければならないのであろうか、疑問である。「租税法規の立法の特質」を理由に原判決のように一律に判示することは相当とは思われない。

問題は、租税法規一般論ではなく、そこで問われている租税法規の中味であると思われる。例えば、時々の課税率の決定などの事項は第一審判決のいうように「財政、経済、社会政策等の国政全般からの総合的な政策判断」や「専門技術的な判断」を必要とし、立法府の「裁量的判断を尊重せざるを得ない」かもしれないが、しかし課税率の決定についても憲法一四条違反が問題となるような場合には、立法府の裁量的判断にまかせられているとはいえないであろう。

現に、最大判昭六〇・三・二七(<書証番号略>)において、伊藤正己裁判官は、補足意見として、「租税法の分野にあっても、例えば性別のような憲法一四条一項後段所定の事由に基づいて差別が行なわれるときには、合憲性の推定は排除され、裁判所は厳格な基準によってその差別が合理的であるかどうかを審査すべきであり、平等原則に反すると判断されることが少なくないと考えられる」と述べられている。

本件で問題となっているのは、個人と法人との間の公的寄付についての課税上の取扱の差別であり、租税法規であるからといってこのような場合にまで一律に立法府への広範な裁量を容認すべきでない。

2、違憲性判断の審査基準については、①立法目的がどうしても必要な利益をもち、そこでとられた手段がその目的達成のための必要不可欠であることの立証を、いずれも立法者側に負わせ、右の視点から裁判所が立法目的や手段を審査することになる、精神的自由の規制立法についてのいわゆる厳格な審査基準、②正当な立法目的を達成するための合理的関連性のある手段であることが否定されない限り規制は合憲であるとされる、社会経済立法などの審査におけるいわゆる合理性の基準(この基準によれば、立法者の行為に合憲性の推定が与えられ、立証責任は違憲を主張する側にある。また立法者に広い裁量権を認めることとなる結果、裁判所は最小限の審査しか行わないとされる)、という二重の基準のほかに、第三の基準としていわゆる厳格な合理性の基準が採用されるようになってきている。

この基準は、平等保護の領域で用いられるようになったものであるが、差別は、公共の目的に仕えるものでかつその目的と実質的に関連するものでない限り許されないとする。前記「合理性の基準」よりは厳しく、立法目的や、目的と目的達成手段との関連性を審査し、かつこの場合の立証責任は原則的に立法府の側にあるとされる。

わが国においても、この厳格な合理性の審査基準のもとに法令違憲を認めた最高裁判例がある。

その一つが、薬事法薬局開設距離制限違憲判決(最大判昭五〇・四・三〇民集二九巻四号五七二頁)である。右最高裁大法廷判決は、「規制措置が憲法二二条一項に言う公共の福祉のために要求されるものとして是認されるかどうかは、これを一律に論ずることができず、具体的規制措置について、規制の目的、必要性、内容、これによって制限される職業の自由の性質、内容及び制限の程度を検討し、これらを比較考量したうえで慎重に検討しなければならない」と述べ、その上で、「職業選択の自由に対する消極的、警察的規制は、重要な公共の利益のために必要かつ合理的な措置であり、より制限的でない他の規制手段によっては目的を達成できないと認められる場合に初めて合憲となる」との職業選択の自由規制に関する実態的判定基準を立て、さらに「当該の法律がこの基準を満たすという立法府の判断を安易に是認することなく、裁判所が独自に立法事実を詳細に検討する」との審査基準を採用した。かかるうえで、薬事法の薬局開設の距離制限規定について、立法目的と、それを達成するための距離制限という手段との間の合理的関連性を支える立法事実があるのかどうか踏み込んだ審査を加えた結果、「薬局等の設置場所の地域的制限の必要性と合理性を裏付ける理由として被上告人の指定する薬局等の偏在―競争激化―薬局等の経営の不安定―不良医薬品の供給の危険―又は医薬品乱用の助長の弊害という事由は、いずれもいまだそれによって右の必要性と合理性を肯定するにたりず、またこれらの事由を総合しても右の結論を動かすものではない」と述べ、右薬事法規定は違憲と判示したのである。

さらに、右薬事法違憲判決の判示を引用したうえで、財産権規制立法たる森林法一八六条につき、その規制の必要性・合理性を厳格に審査し、立法事実の詳細な検討を経たうえで右森林法規定は憲法二九条二項に違反し無効と判示したものに、最高裁昭和六二年四月二二日大法廷判決(判例時報一二二七号二一頁)がある。

森林法一八六条本文は共有森林につき民法二五六条一項所定の共有物分割請求権を制限しているが、右森林法違憲判決は、この立法目的を「森林の細分化を防止することによって森林経営の安定を図り、ひいては森林の保続培養と森林の生産力の増進を図り、もって国民経済の発展に資することにある」と解し、右立法目的は公共の福祉に合致しないことが明らかであるとはいえないとしたが、立法事実を詳細に検討したうえで、「森林法一八六条が共有森林につき持分価額二分の一以下の共有者に民法二五六条一項所定の分割請求権を否定しているのは、森林法一八六条の立法目的との関係において、合理性と必要性のいずれをも肯定することのできないことが明らかであって、この点に関する立法府の判断は、その合理的裁量の範囲を超えるものであるといわなければならない」と判示し、結局右森林法規定は憲法二九条二項に違反し無効であると判示した。

右森林法違憲判決は、立法事実の詳細な検討によって法令違憲の結論を導いている点に大きな特徴がある。

本件所得税法七八条の違憲性の判断においても、少なくとも右薬事法違憲判決及び森林法違憲判決に示された審査基準である厳格な合理性の基準により、審査が行われる必要がある。その立法目的は何か、目的達成のために採用された手段(法人では全額損金算入を認めるのに、個人では寄付金控除の限度を設けること)が右目的との間に実質的・具体的関連性があるのかどうか、必要な限度を超える規制ではないか等が慎重に審査されなければならない。

さらに、右立法目的、及び立法目的を達成するための手段の合理性・必要性を基礎づける事実の存否、すなわち立法事実について具体的・個別的な検討が行われなければならない。そして、その立証責任は被告側にあるというべきであるが、少なくとも右の格差が合理的であることを裏付ける立法事実の存否についての司法審査が必要となるのである。

五 以上のように、本件所得税法七八条の寄附金控除についての法人とは異なる限度枠の設定についての違憲性判断基準について、前記のような単なる合理性の基準を採用した第一審判決をそのまま容認した原判決の判断は、憲法一四条及び八四条に違反し、かつ前記最大判昭六〇・三・二七及び最大判昭六二・四・二二の判例にも反するものであり、よって原判決はすでにこの点からして破棄を免れないものである。

第二点 本件所得税法七八条の違憲性に関する判断の誤り

一 国又は地方公共団体に対する寄付について、法人税法三七条は、原則としてその全額を損金扱いすることを認めている(同条三項一号)にもかかわらず、所得税法七八条はその者のその年分の総所得金額、退職所得金額及び山林所得金額の合計額の二五パーセントに相当する金額を限度として、これから一万円を差し引いた額を寄付金控除としてその年分の総所得金額等から控除することしか認めていない(同条一項)。

二 このように個人の場合と法人の場合とを差別して取扱うことを合憲であると原判決は結論付けているが、その理由については第一審判決が述べているところをほとんど引用するのみである。

しかし、第一審判決が摘示した理由及び原判決が付加、訂正した理由のいずれもがかかる差別扱いの合理的理由たりうるものではないのである。以下、順次この点につき指摘しておきたい。

1(一) まず、第一審判決の判示につき、原判決が認容したところによると、「国又は地方公共団体に対する個人の寄付金について」、「この種の寄付金は、いわば個人の所得の任意処分としてされるものであるから、純粋の税制上の立場からすると、これを課税所得から控除するという根拠に乏しい」という。

(二) しかし、寄付は、それ自体でみれば、法人の場合も、個人の場合も本質的、本来的経費性をもつものではない。

北野弘久編『現代税法講義』(法律文化社)はこの点について、「法人税法は寄付金については、つぎのような考え方に立っているものと解される。すなわち、寄付金は会社の営業活動にとって必要な本来的な必要経費の性格をもつものではなく、さりとて会社が社会単位として存在する以上は社会的にある程度の寄付を行なうことは必要であり、その意味では一種の義務的経費の側面をもつものであるといいうる。寄付金は、そのような、いわば中間的な経費の性格をもつ。このゆえに、法人税法は、その本法において寄付金については、損金算入を一般的に規定したものと解される(法税三七条)。」と述べている。

寄付のもつ右のような性格は、個人においても基本的に妥当するものであり、法人との間に本質的差異はない。

法人税法が国または地方公共団体に対する寄付について、寄付金の損金算入限度の別枠として広く損金算入を認め、一般寄付金の損金算入についての規制と異なる取扱いをした趣旨は、かかる寄付のもつ公益性、公共性に着目して損金算入の規制を緩和したものと考えられる。国又は地方公共団体に対する寄付のこのような性質からすれば、個人の場合について法人と画然と区別する合理的根拠はおよそ見出し難いのである。

(三) この点に関して、被上告人は第一審において、「個人が支出する特定の寄付金については、それが事業所得等の必要経費として支出されるもの以外は、純粋の税法上の立場からは、これを課税所得から控除すべきであるとの議論は出てこないところであるが、特定の寄付に対する奨励措置という立場から政策的に控除することとされている」と主張し、あたかも政策的奨励は個人についてのみ行われているかの如く主張しているのであるが、政策的奨励という点では法人による寄付も個人と同じであるというべきである。

法人にあっても、国または地方公共団体に対する寄付は前述のとおり当然に事業経営に必要な経費となるものではなく、また事業に関連する損金に当然に該当するものでもない。したがって、益金の額から損金の額を控除した金額を所得としたうえで法人税額を算出するという法人税制の本来の立場からすれば、国または地方公共団体に対する寄付だからといって全額損金算入しうる純粋税制上の根拠は存在しないこととなる。

にもかかわらず、法人税法が国または地方公共団体に対する寄付について全額の損金算入ができることとしているのは寄付の公共性・公益性に着目し、寄付を奨励しようとする立法目的によると解する以外に合理的説明ができず、このような立法目的は個人・法人とも全く共通のものというべきである。

(四) さらに、被上告人の原審における平成三年八月二六日付準備書面二項1は、法人の寄付金については「ある種の無形的な広報活動も必要であって、間接経費的側面も認められる」から、「個人の寄付金の大半が全く個人的心情に基づくものであるのに比べると、右の経費性の点において特質を有する」旨主張する(同書面一一頁)。

しかし、右主張は法人税法三七条の判例通説的解釈に合致しない。同条については、一般に、公益目的に役立つ寄付を奨励するために、一定の寄付金については、損金として経理されているかぎりにおいて、それが事業収入を得るための経費の実質をもつかどうかにかかわらず全額を損金に算入するものとしている(同条三項)と解釈されている。これをみても明らかなように、純粋の税制上の立場からすると、寄付金はそれ自体でみれば、法人の場合も、個人の場合も本来経費性を持つものではなく、「課税所得から控除するという根拠に乏しい」という点は、個人の場合だけでなく、法人の場合にも妥当することであり、この点において個人と法人とでかわりがあるわけでないのである。

2(一) 次に、第一審判決の判示につき、原判決が付加して容認したところによると、「仮に国又は地方公共団体に対する寄付金について所得控除制度を設けると、所得税法が累進課税の制度を採っていることとの関係で、」「この種の寄付金を多額に支出できる者は、実際上高額の所得者に限られるから、一部の高額所得者に有利な制度となるおそれがある。」という。

この点に関連して、原審において被上告人が提出した前記平成三年八月二六日付準備書面の二項2は、「個人の寄付金全額を控除すると、別表記載の設例からも明らかなように、減額される所得税については個人の方が法人よりもはるかに高額となり(別表設例1、2参照)、かえって不合理かつ金持優遇の結果となってしまう」旨主張する(同書面一三―一四頁)。(なお、右別表を末尾に添付する)。原判決の右判示も基本的にはこれを容認したものと思われる。

(二)(1) しかし、例えば、右準備書面添付の別表中の設例1をみると、現行所得税法七八条の制度では、個人の場合は、国等への寄付金二億円に加えて、所得税が一億九、八〇八万五、五〇〇円かかることになるのであり、この場合個人の手元に残るのは約一九一万四五〇〇円にすぎない。このような結果は、とくに上告人らのように処分資産のほかに多額の資産を有するわけでなく、たまたま所有する資産を処分したことによって特定の年に多額の収入があったにとどまる個人の場合には、極めて酷な結果であることは明らかである。一方、法人の場合には、法人税法三七条により国等への寄付金は全額損金として控除が認められているので、右別表中の設例1の場合、寄付金二億円のほか、法人税は八、四〇〇万円にとどまり、法人には一億一、六〇〇万円が残ることになる。このような結果は、まさに法人優遇策そのもので、かつ、個人に対する寄付金抑制策であり、不合理といわなければならない。

(2) また、被上告人は前記のように「減額される所得税について」みると、個人の寄付金全額を控除すれば「金持優遇」の結果となってしまうと主張する。しかし、個人についても寄付金全額の控除を認めるとした場合に、所得金額から寄付金および所得税額の合計額を差引いて個人の手元にいくら残るかという観点からみると、次の表1のようになる。

これをみても、所得金額に対する手元残額の比率はむしろ所得金額の高い例の方が大幅に低率となるのであり、個人の場合に国等への寄付金の全額の控除を認めても、被上告人主張のように「金持優遇」とはならないことが知れるのである。

(3) 本件の上告人市川幸雄の場合について、申告、修正申告(修正申告で寄付金控除を三、〇〇〇万円増額しているのは、初回の申告の後、追加寄付が行われたためである)、本件更正処分を整理すると、次の表2のようになる。

こうして、現行所得税法七八条の制度によれば、同上告人は寄付金の一億一、〇〇〇万円と所得税四、七四三万六〇〇円を合わせて約一億五、七四三万円を手離すこととなる結果、二億二、一七〇万〇、五五〇円の長期譲渡所得その他の収入の合計二億二、三五五万二、〇九六円の収入から右控除後の手元残は結局約六、六一一万円にとどまることになる。

こうした結果からみても、現行所得税法七八条の制度は個人の寄付金抑制に偏重したものといわねばならないだろう。

3、現判決は、「個人の寄付のその支出先団体に対する影響力は、概して法人におけるよりも大きくなりがちであり、種々の弊害も予想される」とした第一審判決の判示を、そのまま引用している。

しかし、第一に、後の5、(二)、(2)においても述べるように、わが国の法人には個人と実質上変らず形式上法人格を取得しているにすぎないもの、法人の外衣をかぶった個人というに等しいものが多数存在しており、現判決のように法人と個人とを一概に区別する根拠は何ら認められない。

第二に、一定の公益目的のもとに国又は地方公共団体に対し寄付を行う個人の意思を、現判決のように「弊害」という一部の例外的事態を理由に抑制しようとするのは、まさに本末転倒といわねばなるまい。

第三に、「個人の寄付のその支出先団体に対する影響は、概して法人におけるよりも大きくなりがちであり」というが、寄付金額からいうと個人よりも法人の方が多額であることが一般的であろうからむしろ法人の方が影響力が大きくなりがちとみることもできよう。右判示のように言い切ることができるかは疑問である。また、仮に寄付を行った個人が何らかの影響力を与えたとしても、その影響力が持続するかというと別問題であり、持続して影響力を保つ例はむしろ少ないのではないかと思われる。右判示はこうした実態にも合致しないといわねばならない。

第四に、この点に関しては、昭和四二年の法改正により、所得税法七八条二項一号かっこ書が設けられ、国等に対して「寄付をした者がその寄付によって設けられた設備を専属的に利用することその他特別の利益がその寄付をした者に及ぶと認められる」場合は控除を認めないと定め(法人税法三七条三項一号かっこ書参照)、寄付の支出先への影響力が及ぶ顕著な場合の控除を否認するという立法的手当が尽されていることからみても、個人と法人の場合の寄付金控除につき現行制度のような差異を設ける論拠とはなりえないというべきである。

4(一)(1) 現判決は次のように判示した第一審判決部分を基本的にそのまま引用している(カッコ内部分のみ追加)。

「<書証番号略>(昭和四八年一二月二一日付け税制調査会答申書)でも、所得税法七八条一項の個人の特定寄付金の控除限度額の引上げの可否に関連して(昭和四八年度改正において控除限度が所得の一五パーセントから二五パーセントに引き上げられた。)、総所得金額等の合計額の一〇〇分の二五というその控除割合は、諸外国の制度と比較しても相当の水準にあるものであり、この控除割合をあまり高く定めると、国に納付すべき税金の使途を個人の意思にゆだねる結果となって適当でないとの指摘がなされていることが認められる。」

(2) そして、これに追加して原判決は次のように判示している。

「なお、<書証番号略>によれば、控訴人が前記二争点の3(三)において摘示する諸外国においては、公益的な目的を有する寄付金につき、個人についても一定の限度で所得控除を認める例が多く、わが国のような法人の寄付金支出に対する特別の取扱いを採用している例はないことが認められるのであるが、各国の税制は、各国の政治的、社会的、経済的条件を背景とし、また、それぞれの税制上の沿革によって形成されてきたものであって、わが国においても、右諸外国の税制等をも考慮しつつ法人税法三七条の規定のあり方について検討を加えるべきであるという議論があり得るとしても、他の国の右のような税制上のあり方から、直ちに、所得税法七八条と法人税法三七条が個人と法人とで異なった取扱いをしていることに合理性がないとまでいい切ることはできない。」

(二)(1) しかし、第一に、右(一)(1)の「総所得金額等の合計額の一〇〇分の二五というその控除割合は、諸外国の制度と比較しても相当の水準にあるものであり」との判示については、問題は法人の場合と個人の場合との差別扱いの合憲性という点にあるのであり、比較法的にみてわが国ほど両者に大きな差別扱いをしている例はむしろ少ないのであって、原判決はこの点を無視したものといわねばならない(<書証番号略>の税制調査会報告五六七頁以下にも諸外国の寄付金についての扱いの例が掲載されており、それをみてもわが国のように法人、個人を差別していないことが知れるのである)。

例えば、アメリカでは、連邦・州政府等の公共団体、教会、一定の学校、病院等の特に公益性の強い団体に対する寄付金については、個人の場合、調整総所得(必要経費控除後の所得)の五〇%を限度として所得控除され、法人の場合は、課税所得の一〇%を限度として損金算入が認められることとなっており、個人の場合にも法人以上に寄付金控除が認められている(<書証番号略>)。これは、「公益活動の奨励策ともなり、アメリカにおける公益的寄付の八〇%は個人の寄付であるという現状も理解できるであろう」と指摘されている(<書証番号略>)。

また、西ドイツ、スウェーデン、オーストラリア、フランス等においても、特定の寄付金控除の扱いは、個人と法人とで同一であり(<書証番号略>)、イタリアにおいては国、公共機関に対する寄付金は個人においても法人においても全額を所得控除することが認められている(<書証番号略>)。

(2)(イ) 次に、前記(一)(1)の「この控除割合をあまり高く定めると、国に納付すべき税金の使途を個人の意思に委ねる結果となって適当ではないとの指摘がなされていることが認められる」との判示については、そのまま法人についても妥当することであり、あえて個人についてのみ強調されるべきことではない。

法人においても寄付金が増大し、それが損金として算入されることになれば、課税対象となる所得が減少するのは当然であって、まさに国に納付すべき税金の使途が法人の意思によって左右されることになるのである。

寄付金控除が納付税額の減少をもたらし、結果として国に納付されるべき税金の使途が寄付者の意思によって決められるという点については個人も法人も全く同様なのであり、ことさら両者の差異を論ずる意味はない。

(ロ) さらにつけ加えるならば、本件で上告人が問題としているのは寄付金一般ではなく、国又は地方公共団体に対する寄付という高度の公共性、公益性をもつ特別の寄付についてなのである。

寄付金の支出先が国等の場合には寄付金は課税権者に帰属することになるから、このような心配はないことを理由に、法人税法三七条三項はその全額の損金算入を認めたといわれている(武田昌輔「精説法人税法」二八二―二八三頁)。その全額損金算入を認めた理由は、個人による国等に対する寄付についても同様に妥当するはずであり、そうすると原判決の前記指摘の点も、所得税法七八条と法人税法三七条との差異を正当づける根拠にはならないことは明らかである。

「国又は地方公共団体に対する寄付金は、租税と同様の意味で国等に帰属することになるから、全額損金算入の取扱いがなされる」(山本守之著『体系法人税法』(株)税務経理協会五一六頁)ということであるとすれば、個人の寄付についても同様の扱いがなされるべきであるとするのがむしろ当然というべきである。

(3) さらに、「この控除割合をあまり高く定めると、国に納付すべき税金の使途を個人の意思にゆだねる結果となって適当ではないとの指摘」は、個人の寄付金控除の実情に合致しない。個人の寄附金控除の適用状況をみると、昭和五四年から同六三年にかけて、合計所得金額中の寄附金控除額の割合はわずか0.06パーセントから0.09パーセントの数字で推移している(<書証番号略>)国税庁「申告所得税の実態」による)。到底現行法の限度枠の二五パーセントに到達するような比率ではない。従って、個人の寄附金控除についてはこのような限度枠を設けないと「国に納付すべき税金の使途を個人にゆだねる結果となって適当でない」というのは実態を離れた空論でしかないのである。

(4) さらに、原判決が追加して判示した前記(一)(2)の部分については、原判決自身「諸外国においては、公益的な目的を有する寄付金につき、個人についても一定の限度で所得控除を認める例が多く、わが国のような法人の寄付金支出に対する特別の取扱いを採用している例はないことが認められる」(傍点引用者)というのであるから、比較法的にみてもわが国のように法人と個人を寄付金控除の取り扱いにおいて著しく差別する例はないことを認めているのである。

にもかかわらず原判決は、結論において「わが国においても、諸外国の税制等をも考慮しつつ法人税法三七条の規定のあり方について検討を加えるべきであるという議論があり得るとしても」という。しかし、前者のような比較法の見地から問題になるのは、むしろ取得税法七八条の規定のあり方であって、「法人税法三七条の規定のあり方」ではない。原判決は、所得税法七八条について憲法上の疑義があることを言明することを回避しようとして、ことさらに問題を完全にすりかえてしまったのである。

5(一) 原判決は、次のように判示した第一審判決部分をそのまま引用した。

「更に、被告の前記主張にあるとおり、法人税法の適用対象となる営利法人の場合は、その活動が法人の設立目的にそうものに限定され、その意思決定機関の決定を経て行われる意思決定にも株主、出資者に対する責任が要請されること等からして、その行う寄付の是非や金額の多寡の決定についても自ずから制約が内在すると考えられるのに対して、所得税法の適用対象となる自然人たる個人の場合は、その活動の範囲が限定されず、その意思決定も各個人の意思によるところが大であるため、そのような個人の行う寄付については、寄付金を支出するか否か、また支出する寄付金の額をいくらにするかの決定について、法人の場合のような内在的制約が働かないということも、一般論としては十分に首肯できるところである。」

(二)(1) しかしながら、第一に、個人の場合にも、生活者という立場において、健康で文化的な最低限度の生活を営むための可処分所得を留保することが必要不可決の要請であることからしても、さらには第二に名義人(多くの場合夫であろう)個人の意思のみで決定する実態にはなく妻、子供たちと協議して決定されるのが大部分であるという家族を含めた制約からしても、個人にあっても寄付には自ずと内在的制約が存するのであり、法人の場合とこの点において本質的差異を認めることはできない。家族も含めた資産保有の要請(将来の相続にも影響してくる)等からすると、むしろ個人=家族としての制約は大きく、法人のような歯止めはきかないとはいえない。

個人の寄付については法律で控除限度額を設けなければ何らの制約も働かないというのは全くの独断であり、個人の自律的判断に委ねても内在的制約が機能するのである。

(2) 第二に、「法人税法の適用対象となる営利法人の場合は、その活動が法人の設立目的にそうものに限定され、その意思決定機関の決定を経て行われる意思決定にも株主、出資者に対する責任が要請されること等からして、その行う寄付の是非も金額の多寡の決定についても自ずから制約が内在すると考えられる」との判示も全く不合理なものというほかない。

まず、先に4(二)(1)で述べたように、諸外国においては法人が個人に比して一概に有利な扱いを受けてはいないことからみても、法人においては一般に内在的制約がある、とは言い難いことは明らかである。

さらに、わが国の法人の多くが、上場企業のようなものとは全く異なり、実質上個人と変わらないが形式上法人格を取得しているにすぎないものであるという実態を無視している。法人にも、法人の外衣をかぶった個人というに等しい性格のものも多い。このような場合、「法人」とはいえ、法人としての意思決定機関が機能する実態にはなく、事実上は個人と何ら変わらないのであり、右判示部分のいうような意味での制約が内在する実態にはない。従って、理論的にも実際的にも、こうした面で法人と個人とも区別する根拠はないのである。

この点につき、原判決は前記(一)の判示に追加して、次のようにいう。

「なお、控訴人は、わが国においては、形式上法人格を取得していても実質上は個人と変わらないものが多いことからしても、課税上、個人と法人を区別する根拠はないと主張するが、控訴人が指摘するように、その実質が個人とさして変わらない法人が多いという実態があるとしても、寄付金支出に対する課税上の問題としては、むしろ、課税実務上は、法人の実態に即した課税がなされるべきであるとも考えられないではなく、控訴人の右主張は理由がない。」

しかし、「その実質が個人とさして変わらない法人」について「課税実務上は、法人の実態に即した課税がなされるべきであるとも考えられないではなく」というが、原判決の表現が極めて歯切れの悪いものであることにもあらわれているように、実質個人と等しい法人についてチェックするとはいってもその悪用を全て防ぐのは到底困難で、極めて例外的に課税チェックが行われるにとどまるであろう。原判決の右課税実務に対する期待は到底現実的なものとは思われないのであり、所得税法七八条と法人税法三七条との差別による弊害を除去する論拠たりえないものである。

(3) 元来、わが国では歴史的に企業優先の産業保護政策がとられてきたことから、いわゆる法人は個々の人間である自然人よりも優位に置かれてきたが、資産に対する課税のあり方においてもその名ごりから必要以上に法人が優遇されているのである。このように法人に有利な仕組みをそのまま続けていることが、社会的な歪みをもたらしている。例えば、国税庁の発表した「税務統計から見た法人企業の実態」(<書証番号略>)によると、一九八八年二月から八九年一月の間に決算した法人数は一八五万一、六七三社で前年より六万八、二三九社も増加している。このうちの九五万〇、七〇〇社、実に51.3%が赤字法人で、税金を納めていないのである。もともと節税目的で「法人なり」したものであり、例えば値段の高い高級乗用車も、法人名義なら低率償却できるうえに、保険料やガソリン代も会社持ちだから、苦にならないということが指摘されている。しかし、営利を目的とする法人が、近年来の好況にもかかわらず、半分以上が赤字というのは、どうみてもおかしい。これは明らかに、税制上法人の方が特典を受けられる仕組が利用されている結果であり、反面、個人に対する税制上の取り扱いが法人に比して不公正なものとなっていることが知れるのである。さらに、法人は大法人も含め巨額の交際費や政治活動費を支出するが、これらは、将来何らかの経済的利益がはね返ってくる投資として出費されているにすぎず、見返りのない公益的出費さらには社会的弱者に対する活動への関心は乏しいのが実情である。法人の「意思決定機関」の機能に過大な期待はできない。個人の上に法人を置いた税体系は、早急に改められる必要がある。

(4) なお、統計資料によっても、最近一〇年間の推移をみると個人の寄付金控除適用者の申告納税者に占める割合及び合計所得金額に対する寄付金控除額の割合は概ね低比率の同水準で推移してきている(前者が概ね一%前後、後者が0.06%ないし0.09%)のであり(<書証番号略>)、個人の寄付金において「内在的制約が働かない」との判示が実態に合わないことが知れる。

表1

設例

所得金額

国等への寄付金額

所得税額

手元残額

所得金額に対する

手元残額の比率

1

400,000,000

200,000,000

128,078,500

71,921,500

17.98%

2

80,000,000

40,000,000

18,578,500

21,421,500

26.77%

3

40,000,000

20,000,000

7,078,500

12,921,500

32.30%

4

20,000,000

10,000,000

2,428,500

7,571,500

37.85%

表2

62年3月申告

63年3月修正申告

63年6月更生

所得

長期譲渡

175,145,567円

221,700,550円

221,700,550円

その他

1,851,546円

1,851,546円

1,851,546円

合計

176,997,113円

223,552,096円

223,552,096円

控除

寄付金

80,003,000円

110,003,000円

55,881,024円

その他

714,996円

714,996円

714,996円

合計

80,717,996円

110,717,996円

56,596,020円

納税額

24,383,400円

29,671,000円

47,434,600円

一方、法人の場合においては、例えば昭和六三年度の法人の寄付金支出状況をみると、支出寄付金の所得に対する割合は、中小法人計で0.69%大法人で1.08%、合計0.96%となっており(<書証番号略>)、前記の個人の場合の合計所得金額に対する寄付金控除額の割合が最近一〇年間で0.06ないし0.09%であるのに比べて概ね一〇倍強となっており、これをみても、原判決の言うように法人の場合は内在的制約があり、個人の場合は内在的制約がきかないとの見方は実態と逆であることが分かるのである。

三 以上、原判決が寄付金について、個人と法人とを差別して取り扱うことを合憲であるとする理由は、いずれも、個人と法人を別異に取扱う合理的根拠たりえないものであり、所得税法七八条は、法人税法三七条と対比して著しく不合理な差別を定めたものとして、憲法一四条、八四条に違反する無効な規定であり、よって、原判決は破棄を免れない。

また、仮に前記第一点において述べた本件の違憲性判断の基準について、原判決及び第一審判決のいうように、「租税法規の立法については、これを、国家財政、社会経済、国民所得、国民生活等の実態についての正確な資料を基礎とする立法府の政策的、技術的な判断にゆだねるほかなく、裁判所は基本的には、その裁量的判断を尊重せざるを得ない」との見解にたつとしても、最大判昭六〇・三・二七(<書証番号略>)も判示しているように、当該立法において具体的に採用された区別の態様が右目的との関連で著しく不合理であることが明らかである場合には憲法一四条に違反すると認められるところ、以上に詳述したように所得税法七八条の法人税法三七条との対比における法人と個人との寄付金控除の取り扱いにおける差別は著しく不合理なものであって結局において憲法一四条に違反するものといわなければならず、結局において原判決は破棄を免れないのである。

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